2015年12月30日水曜日

ラパ・ヌイうっかry紀行

世間では変性連金だの古代ガナドールだのオーバーフローだのと賑わっていた中、相変わらずアムス引きこもりの私ですが、シルバーウィークにラパ・ヌイへ行ってきたので、そのうっかryの報告など。
まぁ、報告書くのが遅すぎて、世間は太陽の船だのアクロポリスだのになって、年越してしまいそうだよ!

今回の目玉うっかryは、かゆみ止めに液体のウナを持っていったのだけど、行きの飛行機ですでに液漏れしてて、ただでさえ調子がいいわけではない鼻炎持ちの鼻を刺激しまくりで、飛行機の中で持ち込んだポケットティッシュが底をついたことだろうか。
今度からチューブのクリームのやつにしようと心に誓った17歳の秋
あ、ご心配なく、預けているメインのかばんの中にはティッシュを箱ごとつっこんであったから!


Prologue
ゴールデンウィーク前の新聞に、シルバーウィークにイースター島に行く旅行の広告があったので、休みが取れるとかどうとかは置いといて申し込んでいたのでありました。
イースター島というと、北米、南米で2回乗り継いで行くものだと思ってたのですが、そのツアーはタヒチ経由で行くというもので、タヒチからイースター島がチャーター便だから乗り継ぎ時間が短くなるというものでした。

イースター島の通貨はチリペソで、タヒチはフレンチパシフィックフラン(CFP)だそうで、東京三菱UFJさん行けばあるかと思ったらないんだわ、これが。
でも、そもそもイースター島は、支払いは米ドルがウェルカムで、お釣りをチリペソでくれるらしい。何年か前の情報では1米ドルが500チリペソの固定レートだったらしいけど、現状が分からないまま、適当に100米ドル両替。あと昔アメリカ行ったときの残りが16ドルくらいあったので、それ持ってった。フレンチパシフィックフランはチケットショップに取り扱いがあって、1.3円くらいだったので、こっちは1万CFPを両替。

デジカメは前回のロンドン旅行のときに買ったものがそのままで、電池の持ちが少し心配だったのと1個充電忘れても大丈夫なように、新品も1個調達していきました。

Day 1
海外の観光旅行にツアーで行くのは初めて分からないことだらけだったのだけども、前日にツアーの添乗員が電話してくるはずだったのがかかってきてなくて、朝、伊丹の受付で、おねーちゃんに「申し込みの電話番号にかけたら、現在使われておりません、て言われて連絡が取れなかった」と言われた。mjd
これに関しては帰国してから確認したら、市外局番の1桁目と2桁目が入れ替わってたわ、めっちゃごめんwww
あと、「パスポートのコピー2部取っておいてください。」と言われた。当日ばたばたしたくないのでそういうことは、旅のしおり書いといて欲しいなぁ。まぁ、電話番号間違えてたのが敗因なんだろうけども。
仕方ないのでコンビにでコピーを取る。そしてお約束のようにコピー機にパスポートを挟んだまま立ち去った。。。3秒で気づいたからセーフってことで。
タヒチ行きの飛行機は、成田からなのだけど、国内線は伊丹から羽田で、羽田からは貸切リムジンバスでした。
自分でチケット手配するときは、羽田から成田に移動するのが嫌なので、成田で待つことになっても伊丹の早い便で飛ぶのだなぁ。

成田のエア・タヒチ・ヌイのカウンターが混んでて、チェックインに時間がかかって、チェックイン終ってから搭乗口の集合まで20分しかないとか、昼ごはんどないせいと、と思いながら、マクドに駆け込んで月見チーズバーガーとポテトを買ってベンチでもしゃもしゃ。

月曜日の夕方成田からタヒチに飛んで、タヒチに着くのは現地時間の月曜日の朝だけども、日本時間だと火曜日の未明。そしてタヒチを現地のお昼に出てイースター島に着くのが現地時間の夜だけども、日本時間だと火曜日のお昼で、飛行機の中ではあんまりよく寝れなかったので、ホテル着いてめっちゃ眠かった。
ホテルはスタンダードグレード、てことになってたけど、映画に出てくるモーテルみたいな感じの部屋でした。他の人の話では、マチュピチュのホテルも似たような感じだったそうです。
外国の辺鄙なところへ行くと、ホテルのシャワーでお湯が出ないのはよくある話、だそうですが、とりあえず私の部屋はお湯出た。あ、バスタブはなかったので、お湯を溢れさせることはなかったから!

Day 2
朝、起きたらニワトリがあちこちで鳴いてて、久しぶりに聞いた。近くで鳴いてなーと思ったけど、食堂に向かったら、その辺をニワトリが歩いてたわ。
朝ごはんはビュッフェスタイルだけども、並んでるものは、アボカド、ハム、チーズ、パン、ケーキ、缶詰のフルーツ、以上
トーストしたやつにアボカド、ハム、チーズを挟んで食べるのがおいしかった。
私はティーバッグの紅茶を飲んだのだけども、コーヒーはインスタントコーヒーの瓶が置いてありました。

1日目は終日観光で、お昼はお弁当が出るということだったのだけど、お弁当にお水が付いてるか添乗員さんに聞いたら、たぶんついてないというから、朝ごはんの後、出発までに村のスーパーまで買出しに。
ホテルの敷地から出ると、野良犬の後ろをニワトリが歩いてた。仲ええんかな。ガイドブックには野犬って書いてあって、野犬というと襲われるという怖いイメージやねんけど、その辺の人にかわいがられている野良犬って感じでした。
家の軒先にはバナナの木があって、実がなっていた。 観光客相手にしてるお店は基本的に英語も通じる、て話だったけども、旅の指さし会話帳アルゼンチン版を片手にミネラルウォーターとトマトジュースを2本ずつ調達。
ペルー版とアルゼンチン版はあるのにチリ版はないのだなー。で、チリはペルーよりアルゼンチンのスペイン語に近い、という理由でアルゼンチン版を選びました。

中央の赤いシャツのおじさんが、イースター島に住んでいる最上さんというガイドさん。
いざ、イースター島にモアイ見に行くとなって、ガイドブック買って読むまで知らなかったのですが、モアイは触れないのです。
近づくことも基本的にはできない。「アフ」と呼ばれる祭壇の部分から立ち入り禁止なのだそうです。まずはそういう諸注意からでした。
その辺に馬もいます。この子はロープでつながれています。でも、足元にはいっぱいフンががが。イースター島は草とフンの匂いで、乗馬センターとか奈良公園みたいな匂いだった。

最初は西海岸のタハイ儀式村で、モアイにご対面。左の5体が載ってる祭壇は「アフ・バイ・ウリ」、右側手前は「アフ・タハイ」、右側後方は「アフ・コテリク」。
それぞれ、初期、中期、後期のモアイだそうです。
アフ・コテリクはの頭の上に乗っかってる赤い石のパーツは「プカオ」と呼ばれる、髷(まげ)だそうです。
そして、目が入ってます。モアイは本来は目が入っていたのですなぁ。白目の部分はサンゴで、瞳の部分は黒曜石でできていたそうです。
ここのモアイはみんな立ってますが、島にある約900体のモアイのうち、立っているのは後から考古学者が復元した40体くらいで、残りは倒れたままです。プカオが乗ってるモアイは6体だけだとか。目があるのはここの1体のみです。
どんどん大きなモアイを競い合って作って行って、その次はよその部族のモアイを倒す戦争ってのをやったそうです。
で、モアイを倒したら真っ先に目も潰したので残ってるモアイにはほとんど目がないんだとか。

次に訪れたのは、北海岸のアナケナ・ビーチ
左の1体が乗っている祭壇は「アフ・アトゥレ・フキ」で、伝説の大様、ホトゥ・マトゥア王を表しているとかどうとか。画像が縦方向に縮んでいるわけではなくて、こういう顔つきのモアイです。
右の7体が乗っている祭壇は「アフ・ナウ・ナウ」。名前がかわいい。砂に埋もれていたので保存状態がよく、背中の彫り物や手の指までよくわかるということなのだけども、正面側は逆光で写真撮ってるのはほっとんど黒いのだなー。これは背面。
左のモアイの背中に彫られているのは、背中の刺青かふんどしの線ではないか、という話です。左から2番目のモアイの下の部分の石組みには、トカゲ人間のレリーフが。そして右の2体の間のところ横になってるモアイの顔は、昔のモアイを石組みにリサイクルなのだそうです。

船が着けられる砂浜はここだけらしい。船が着けられる砂浜はここだけらしい。大事なことなので2回言いました。
Googleの地図を見てもらっても分かると思うのだけど、海岸線で砂浜があるのは、こことこの東側だけなのです。
西岸には現在使われている港がありますが、砂浜はないです。なので、DOLの「ラパ・ヌイ西岸」は今すぐ「ラパ・ヌイ北岸」に改めるべきです。

お弁当は、ピラフとツナとサラダとゼリーと小さいパン。パンは袋の中。
朝がんばって村まで水買いに行ったのに、水のペットボトルが付いてたよ!

午後、最初の訪問地は、アフ・トンガリキ。このエントリのトップの画像もここのモアイです。
一番背が高いのは、右から5番目で8m弱です。近くにはプカオがごろごろ転がっていました。プカオの後ろに見える山は、このあとで行くラノ・ララク。
このモアイは日本に来たことがあるそうです。元々は左後方に見えるラノ・ララクにあったものを、考古学者の運搬実験に使われてここまで運ばれたそうです。右後方にはアフ・トンガリキの15体が見えます。

一日目の最後はラノ・ララク。ほとんどのモアイはこの山から切り出されて運ばれたそうです。
黒っぽく見えてるのは全部モアイ。

 この辺のモアイは私がイメージしていたモアイの顔に近いのが多くてかっこいい。口から輪っかを吐きそうな感じ!
横から見るとうすべったいです。
この2体のモアイが見えるところがよく本などで使われるとか。私の買った「世界遺産 イースター島完全ガイド」の表紙もここでした。

掘り出しの途中で放棄されたモアイ。 
正座してるモアイです。
足があるように見えます。うしろに見えるのはトンガリキ。

作りかけでやけど、最大サイズの25mのモアイ。
画像処理のツールないので、エッジ抽出ができなくてわかりにくいかもしれないですが、正面と横からです。

バスの時間までが微妙で、クレーターまで行って戻る時間はなかったので、お土産屋を覗いて、モアイの置物を物色してたけど、気に行った色と顔のがなくて断念。Tシャツを買ったら貝のキーホルダーをおまけにくれました。
で、機嫌よく店を出たら、バスが1台出発してて、2台目は私の戻りを待っていたらしい。
イースター島着いて、腕時計の時間ずらしたときに、分まできっちり合わせてなかったわー。ホンマスンマセン

帰りは南側の海岸線を西へ。この海岸線にもあちこちに倒れてるモアイがあるのだけども、全部スルーされていく。
マイクロバスの座席が左側が2列、右側が1列で、おひとり様なので当然1列の方に座るのだけども、そうすると海岸線はあまり見えなかった。道路の右側にも倒れてるモアイと看板が立ってるところがあったけど、さすがに場所分かってないと写真取りづらい。流し撮りを会得すべきか。

一旦ホテルに戻って自由時間。モアイの置物を物色しに村まで出かける。
道中、前方から、裸馬が3頭来て、泣きそうになる。
乗馬センターだと、繋いでない馬は危ないから絶対近寄っちゃだめって言われるけども、相手から向かってくるのをどうしたものかと。車もバイクも前方に馬がいるので停止中w
結局私のいた歩道とは逆側に渡って行ったので、無事に村まで行けたけど。

お土産買って戻って休憩してから、朝行ったタハイ儀式村にサンセット観光に出発。
急きょ、翌朝のサンライズツアーが組まれて、参加希望者を募ってたけども、支払いが現金100ドルということで断念。ない袖は振れない。
自由散策時間が長かったので、考古学者のお墓を探しに行ってきた。
ガイドブック持ってるのに、名前うろ覚えで、てけとーに「トール・ヘイエルダールのお墓どこですか?」みたいに日本人ガイドさんに聞いたら、知らん言われて、ガイドブック確認したら「ウィリアム・マロウ」さんだったw ごめんなさい。で、現地のガイドさんに写真見せたら、歩いて行けるということだったので、写真を頼りに散策。
近くに倒れているモアイがあるところに、ガイドブックの写真と同じ石がありました。お墓と言っても分骨されている。

金色の夕日を背にしたアフ・バイ・ウリ

アフ・タハイ、アフ・コテリク

日が暮れてからホテルに帰って晩ごはん、20時くらいだったっけか。
テーブルを並べてI字型になってて、添乗員さんが、二人参加の人は向かい同士で座ってくださいーねーと誘導しているが、おひとり様なので、最後の穴埋めで、お誕生日席付近でおひとり様群団が固まる。
飲み物の追加オーダーは現金精算。ビール頼んだら缶が出てきたよ。5ドルだったかな。タケー。
ご飯の写真は撮っていなかったでござるよ。みんな鶏肉がイマイチと残してたけど、私は完食しますた。
晩御飯の席で、翌日早朝のサンライズツアーがカード払い可能になったという連絡があり、参加を申し込む。
天気予報は分からないけど、予報は晴れやったし、たぶん、次にラパ・ヌイまで朝日を見に来ることはないだろうから、思い切って申し込んだ。心配なのは起きれるかどうかやけどな!

ご飯のあと外に出ると星がきれいで、南十字星を見つけようと思って、星座表の現在地を合わせようと思ったら、ラパ・ヌイがなかったでござるよ。
仕方ないのでチリのサンティアゴに合わせて、時計をずらして行ってみたけど、星が多すぎて今見てる空に合わせることができず、寝るのが遅くなって朝起きれないと困るので断念した。

無事に起きて、お昼のお弁当についてた硬いパンとトマトジュースとチロルチョコで軽く朝ごはんにして、出発。
空はまだ暗くて、でも星がきれいで、雲かと思ったら天の川だったようだ。
バスの移動中もずっと空見てた。周りに建物も光もなくて、トンガリキに向かう車のテールランプと星空だけ。

空がだんだん白んで来て、朝焼けが雲に映える。
水平線から日が昇るのかと思ってたけど、どうも遠くに雲があったのか、アンデスサン山脈なのか分からないけど、水平線より少し上のところに光の割れ目が見えて、そこから日が昇った。

ちょっと日が昇ってしまうともうただの景色になってしまう。来てよかった。

帰りは1日目の夕方と同じで南側の海岸線通ったけど、やっぱりうまく撮れない罠。
私が海岸線沿いの写真を撮ろうとしているのを見ていたおじちゃんが、席を譲ってくれると言ってくれたのだけれども、車結構揺れるし、信号なくて止まることもないから、遠慮しておいた。とりあえず道路の陸側のは1個撮れたけど、撮れただけで写せたとは言い難い。はやり流し撮りを会得せねば。

2日目の通常のツアーは昼過ぎからで、集合までは自由行動。
オプショナルツアーで、レストランでお昼ご飯ってのがあったけど申し込んでない。
ちなみに、ホテルのダイニングでランチだったらしく、予想通り残念な感じだったみたいー。

私のミッションはお土産にモアイの石鹸買うのと、夜の機内食までのつなぎのバナナ買うのと、エンパナーダを食べること。

とりあえずメインストリートでモアイの石鹸売ってるところ探してみたけど、見つからず、民芸品市場に行こうとしたけど、道を間違えたらしくえらく遠回りになった。
予定外に坂を登ったり下ったりして民芸品市場に着いた。中に入ってすぐのところに目当てのモアイ石鹸があったので、ペソだけ書いてたけど、変換レートが1ドル=500ペソならまぁ買ってもいいかと思ってドルの値段聞いてみたら、何か思ってたより高くて、計算したら380ペソくらいだったか。「レートが高すぎる!」と文句を言うスペイン語力がなかったので、首を振って、別の店を探しに。ぐるりと回ると、同じようなので、なぜか中身が4個になってまぁまぁなお値段の箱を発見。ドルの値段聞いてみたら、悪くないレートだったのでお買い上げ。
写真撮ってなかったけど、パステルカラーでパッションフルーツ系のいい匂いがしていた。

行きの飛行機で黒のボールペンが壊れて、予備がないのでタヒチの入国の書類を書くのに困るから、文房具屋を探したのだけれども、文房具屋とかなさそーで、でも日用雑貨店にふらりと入ってみたら、奥にノートとか置いてたので、ノック式の赤いボールペンを出して、これの黒が欲しいっておばちゃんに言ったら、ノックのはないと言われて、キャップ式ので2本試し書きして、水性と油性ぽかったので、油性の方を選ぶ。400ペソで1ドル払ったらおつりくれなかった。入口に1ドル650ペソって書いてあったのに、何かだまされた感があるけど、私のgdgdなスペイン語にお付き合いいただいたので、まぁいいか。

港の方にもモアイがあると聞いていたので、行ってみたら3体あった。

しばらく港のベンチに座って波を眺めてました。
海は波がざっぱーんざっぱーんと言ってて、日本海っぽい。

港からメインストリートに戻って、バナナを買おうと思ったら、不思議な色彩のトラックが通りすぎて行ったけど、よく見たら、牛が足を縛られて仰向けになってる状態でトラックの荷台に積まれていて、市場の角を曲がった。リアル・ドナドナ!
ドナドナは、木の檻の枠からつぶらな瞳が見えてる感じだったので、ちょっとイメージと違うか。

市場に着いたはいいが、山盛りのバナナを前に、どれだけでいくら、とかいうのが良く分からず、「2本欲しい」のをどう言えばいいのか指さし会話帳を引っ張り出して考えていたら、私の前でバナナを買ってたふくよかなおねいさんが、私にバナナ選べと促し、選んだら、店の人に私を引き渡して、店の人は着いてこいと促し、市場の中の量りで測って、表示されたペソの値段を指さしてくれた。ペソで払ったらお釣りをくれた。
市場の中にエンパナーダを作って食べさせてくれるフードコートみたいなとこもあったけど、お昼の営業時間は過ぎてたみたい。

地球の歩き方で紹介されてたエンパナーダのお店に到着。店の前のデッキのテーブル席は日本人でいっぱいだったけど、中にもテーブルがあったので、カウンターで、チーズ入りシーフードのエンパナーダを注文し、冷蔵庫からとファンタオレンジの缶を持ってくると、そこの席に座っててと促される。どうも後払いのようだ。

左の器の黄緑色の物体は、唐辛子っぽいディップ。豚まんにからしをつけて食べる感じかなぁ。最初はつけずに食べて、それからつけて食べた。つけてなくてもいいけど、つけるとピリッとしてうまうま。
デッキで食べてた日本人がお会計にやってくるわけだけれども、当たり前のように英語で話かけて、USドルで精算していく。
エンパナーダが6ドルで、ファンタが2ドルだったか、もう古い話で忘れたw
会計を済ませてからトイレを借りて、ホテルに戻る。

午後のツアーの1か所目は、オロンゴの儀式村。
モアイ信仰より後の時代の儀式で、300mの崖を降りて、1kmほどサメの泳ぐ海を泳いだ先の島に上陸して、渡り鳥が生んだ卵を失敬して、また泳いで崖登って帰ってくるという、それ何アスロンみたいな競技をしていたらしい。
現地ガイドにおにーちゃんにやってみたい?って聞いたら、目的地の島の崖は登ったことがあるって言ってた。サメは今はもういないらしい。
ここの建物はスレートでできていて、モアイと違って頑丈な感じ。
カルデラ湖の湖面に映る青空がきれいだという話だったので期待していたけども、ちょっと空の色がびみょんだった。

2か所目は、アフ・アキビ。
基本的に、アフに立ってるモアイはみんな海を背にしているのだけれども、ここのアフのモアイは海を見ている。そっちの方に使いに出した島民がちゃんと戻って来れるように目印となるように立てたとかどうとか。

最後の観光、アフ・ビナプ。
ここの石組みの精巧さがインカのに似てるってことで、トール・ヘイエルダールさんは南米起源説を確信したそうだ。今は東南アジア起源が通説です。
モアイは全部倒れてます。石組みが崩れてるところは、ヨーロッパから来た人が「お墓!財宝!ひゃっほー!」とダイナマイトで爆破した痕。
お宝はもっと別の洞窟に置かれていたらしく、そもそも何もない島だからお宝が骨とか食べ物とかであって、金銀財宝ではないのだわな。

プカオと同じ赤い石でできた、女性と言われているモアイ。
ここは、ロープもなんもなくて、すぐ触れる状態なんだけど、触っちゃだめーって、現地ガイドさんがめっちゃ心配してた。

アフ・ビナプから空港はすぐそこで、到着してバスから降りたらモアイのペンダントを首からかけてくれました。
建物の中に入って添乗員さんからパスポートとボーディングパスを受け取り、入国と出国のスタンプちゃんと押されててるのかなーって思ったら、出国はあったけど入国がなくて、えええええって思って周りの人に聞いたら、結構適当なページに押してあるからもう1回見てみ、と言われ、1ページずつ確認したら「追記」のページに押してあったよ、ママン
ボーディングパスには搭乗口が書いていませんでした。まぁな、1個しかないもんな。

イースター島から離陸した飛行機は、機長の粋なはからいで、イースター島の海岸沿いの上空をくるりと一周してからタヒチに向かった。席が中央だったので、あまりよく見えなかったけどな。

ここから先は、タヒチの話になるけど、本当に年を越してしまいそうなので、またの機会に。

Epilogue
私は、ラパ・ヌイ西岸に水調達のために上陸したことはあるけど、クエとか地図とかは全然やってないので、どんなクエとか発見物があるのかすら知らなかったのですが、ちょっと調べてみたら「星を見る島」で、ラパ・ヌイ島そのものの発見はやってた。この連クエのストーリーは、タヒチ博物館の特別展示でやってたのに通じるなぁ、と、あとから見て思った。クエやるときにちゃんと読んでおけってー話だな。
「星を見る島」の続きは宗教学がないのでがまだやってない。モアイの発見物は3つあるようで、どれも今回行って来た場所のようなので、DOLでも行ってみたいけれども、どうやって宗教学をブーストするかを考えねば。
耐久削れるのを気にしないか、あるいは、アパにブースト突っ込んで帰還の風で取りに戻るとか?

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